Re: 少年エーミール: トトロ?
- 2004-08-08 12:03
- WWW徒然
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確かに…これはなんか違う。まず本物のトトロにはそんなにあからさまな「肘関節」はないんじゃないかと思う。
世の中なりたがったもん勝ち。
確かに…これはなんか違う。まず本物のトトロにはそんなにあからさまな「肘関節」はないんじゃないかと思う。
会社を定時であがって銀座で相方と待ち合わせ。
今日の目的はみるくここあさんでご紹介だったデザインによる解決〜Suica改札機のわずかな傾き展とアップルストア銀座店。
Suica の方は ITmedia の記事で強調されている通りとても小さな展示で、面積なんか8畳くらいだったんじゃないか。ITmedia の記事にほぼ全部載っているので、遠方の方は無理矢理行こうとしないで下さい(笑)。ついでにどんな展示だったのかもその記事に譲るとして、記事を読まずに行った相方は結構面白かった
と述懐。ふうこ的には、デザイナーさんがこの仕事を請け負った時の顛末に『実験してみないと分かりません』と答えた
とあったことに驚く。デザイナーという職業は、こういうことを深く考えなくても思いつく人しかできないものだと思っていたので。…ひどい買い被りっぷり。
アップルストアは、これまた相方にあのデカベーターと iPod mini が飾られている様を見せたくて(ついでにあの展示だけじゃボリューム不足なので無理矢理)寄ってみる。店内では応募だけで iPod mini が抽選でもらえるキャンペーンを実施中。顧客名簿集めだと分かっていて応募。あーまたどうでもいいアップルの宣伝メルマガとか届くんだろうなー。さらに店内をうろつくと、iPod mini のケースを抱えて歩くサラリーマン風の男性が! あ、あるの、在庫?! どきどきして相方に尋ねさせる(弱)。店員曰くちょっと前に売り切れたんですよー。次回入荷は未定ですね
。がっくり。
もう少し細かく話を聞くと、仕入れはあるものの数量や予定日は店員にも分からないらしい。朝出勤したら入荷していることもあるとか。今日もたまたま入荷があったけど、先ほど売り切れたということだった。
そもそも音質を上げ目にしないと聞くに堪えないから、4GB じゃ足りない
という相方。だったら、とよっぽど 20GB を衝動買いしようかというところを踏みとどまって店を出る。ご飯を食べたいなぁ、とざっと辺りを見回して、餃子屋さんがあるよと相方に振ってみたら鉄鍋餃子が流行するきっかけになった店だ
という。じゃあまずいことはなかろうと入店。さして待たずに席に案内される。
頼んだのは鉄鍋餃子(基本)、ハモの唐揚げ、小龍包と担々麺。飲み物は青島ビールとヱビスの小瓶をひとつずつ。相方は私と待ち合わせる前にご飯を済ませてしまったので、これでもちょっと品数少なめ。担々麺は辛いけどうまーい! ほかのものも普通においしくて大満足。食後の散歩がてら新橋まで歩いてから JR で帰りました。
広島原爆の日。朝起きてテレビをつけたらどんぴしゃ黙祷の時間。しばし目をつぶって故郷に思いを馳せる。
アメリカの人に「ヒロシマ・ナガサキ」をどう思うか聞くと、やはり今でも Remember Pearl Harbor
という返答が返ってくるという。つまりあれは「報い」なのだと。広島生まれの私は、よその都道府県で育った方より「平和教育」なるものを多く受けてきたのではないかと思うけれど、二十余年の教育を通して感じたのはもはや『誰が悪いのか』という問題ではない
ということ。被害者ヅラしてアメリカの「悪」を訴えたいのではなく、ただもう二度と同じ思いをする人を作りたくない
というだけの思いは、しかし彼らには届かない。
会社に行って、来週からの社外常駐勤務に備えてパソコンのセットアップ。バックアップを取るんじゃなくて、空のハードディスクに差し替えて1からインストール。プロキシサーバーの調子が悪く、Windows Update が 3 時間経っても終わらない。頭にきてひとつずつダウンロードしてからインストールしたら1時間で全部終わった。…最初からやればよかった。来週から夏休みなので、会社で CD-ROM を借りられるものだけとっととインスコして、明日の休日出勤を確定させつつ夕方は相方とデート(^^)
次の記事に続く。
PCで読んでいると「そにそ」に見えてくるな・・・
我が家では、一度週刊少年マガジンか何かにグラビアが載った時に表紙の「ソニン」の文字がデフォルメされすぎててリこン
に見えて以来リコン
と呼ばれています。
…それだけ。
ちょっと「今頃」感のある記事ですが。
正直、初等教育が実生活に役に立つかどうかなんてどうでもいいことだと思います。多くの人にとって理科が役に立たないものだとしても、こういった教育を通じて彼らの中から「『どうやったら役に立つか』を考える人」を発掘して育てる必要があるはずですから。むしろ本当の問題は教師にしろ生徒にしろ「役に立たない」=「勉強しなくてもよい」という変な合理主義にとらわれていることではないでしょうか。
「いかに役に立つかを教える」というのも「発掘」の一つの手段かとは思いますが、教育現場の方にはそれだけにとらわれずに色々工夫してもらいたいと思います。