映画『機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者』
- 2004-10-20 21:43
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げっ。公式サイトのタイトルもゼット
かよ。
のっけからのぼやきはともかく、以前ちょっと触れた「もうひとつのトラウマ」です。
2005年初頭公開
という噂を聞いて今から心の準備しとこ
と思っていたら、この10月に東京国際ファンタスティック映画祭 2004 の上映作品として登場とのこと。早い! 早いよ! …流す訳にもいかんし、心の準備は間に合わんし… 前売り券は発売日の午前中に売り切れということで、朝も早よから劇場に足を運んで当日券で見てきました。
さて、本記事は『Ζ』をご存知でない方はさくっとスルーして下さい。『Ζ』をご存知でもネタバレをご希望でない方もさくっとスルーして下さい。『Ζ』をご存知でネタバレも平気な方は、ふうこが自分の話ばっかりしている記事であることをご承知の上ご覧下さい…って、じゃあ誰が読むんだ、この記事。
おや。こんなところまでご覧頂いて恐縮です(^^; では、まずは説明を。
本作は 1985 年本放映の TV アニメ『機動戦士Ζガンダム』の映画化3部作の第1部で、TV放映の第14話までが描かれています。映像は古い絵と新しい絵を合成する新しい技術を用いており、新作画は全体の 1/3 程度と公表されています。本作の総監督である富野由悠季氏はΖガンダムの総集編作りをしたいのは、新企画開発のため
(雑誌『Invitation』創刊号『日本のクリエイター 102 人が選ぶ人生ベストワン CD 100 枚』近況コメントより)という談話を発表しており、本作は主に映像面での冒険がメインだと思った方がよいでしょう。
何故その「冒険」の素材に『Ζ』が選ばれたのか、その理由はあんまり知りたくありませんが(苦笑)、おおかた20年前の作品がこんな風に担ぎ出されてくることによって、ふうこは否応なく「何故『Ζ』に拘ってしまうのか」という疑問について考えさせられることになりました。結果、それはやはり主人公のカミーユ・ビダンのキャラクターにつきる、という結論に至りました。
彼は両親がともにモビルスーツ関連の技術者である中流家庭の育ちで、ミリタリー的なものに惹かれながらも軍隊という組織には拒否反応を示し、癇が強くすぐ人に殴りかかるが大人に力で押さえつけられると暴力はよくない
と反駁し、子ども扱いされるのを嫌うくせに都合のいい時だけ「子ども」を振りかざすといった風で、見た目はとにかく思春期の少年特有のとっつきにくさを全開にしているキャラクターです。しかし、その心の奥底には少年らしい真っ直ぐさや弱さ、優しさ、素直さといった人間味を隠しています。そんなとげとげしさとナイーブさを併せ持った部分、ついでにルックスと声(全部じゃん)がふうこのツボだった…んだろうな、と今となっては思う訳です。
ところが今夏、雑誌『ガンダムA』のインタビューから劇場版『Ζ』に関する新たな談話が発表されました。(劇場版では)すこやかなカミーユにする
…は?! え、えっとー…今まで彼のことをそれなりに「すこやか」だと思ってた私の立場は。
ということで、かなり不安を抱えたまま(やっと本題かよ!)本編を見てきた訳ですが… 作品としては、悪くなかったです。ただ、初見でカミーユに目を移す人はおそらくいないでしょう。特に前半の随所に見られるエキセントリックな行動は殆ど削られていたので、何の引っかかりもないキャラクターになってしまいました。…新作画部分はやたらと可愛らしいので、そういう意味での「引っかかり」はありそうだけれども(-_-;
考えてみれば、もともと TV 版の『Ζ』は『ガンダム』の世界観を通してカミーユ個人の成長と破綻を追いかける構造になっていて、それは「続編」のひとつの形ではありますが、当時『機動戦士ガンダム』をある種の SF と見なしていた向きには期待外れの感があったのではないでしょうか。また、製作サイド(つうか富野氏)にも思いのほかカミーユのキャラクターが立ってしまった
という思いがあったのは確かなようです。しかし、劇場版『Ζ』には、過去を徒に否定することなく、この素材で語ることのできる「もうひとつの物語」を生み出そう、という意図を見てとれます。
その結果、カミーユ個人の立ち位置を定めるためのエピソードは極限まで削られて、代わりに、この時代に立てば必ず表舞台に担ぎ出されるであろう二人、クワトロ・バジーナことシャア・アズナブルとアムロ・レイの「ヒーロー」としての輪郭を際立たせる描写が前に出てきています。特に TV 版でクワトロが披露した数々のマヌケがカットされているあたり。カミーユファンとしては残念ですが、おそらくこっちの方が『ガンダム』の続編としては正統なのでしょう。その大胆な再構成ぶりは某『ガンダム』の監督(つうか構成作家)に見せてやりたいくらいです。設定を詰め込んだり伏線を引きまわすのだけが物語の作り方じゃないんだよ。まぁ、カミーユ贔屓としてもそんな悪いことばかりでもなくて、クワトロの間抜けカットのついでに『スパロボ』系のゲームが出る度に頭を抱えつつ聞いてたそんな大人、修正してやる!
がなくなったのはちょっと助かった(^^; もしかすると、同時展開されるメディアで安直に採用されがちな紋切り型の解釈に対するアンチテーゼなのかもね。
ともかく、単純に作品として見ても、物語としての骨格はしっかりしているし、新作画の戦闘シーンも美しくスピーディで見応えがあります。14話までに死ぬ奴を無理やり全員 90 分の中に詰め込んでいるので慌しい印象があるかもしれませんが、何とか次が楽しみ
と思えるだけのものはありました(未だにサブタイの『星を継ぐ者』って何だ、という疑問は残ってるけど)。これからはふうこも多少気楽に続きを待てることでしょう。
が…、第2部はカミーユが最悪の結末へ向かっていく決定的なスタート地点となったフォウ・ムラサメのエピソードなんだよな… こんなにカミーユが脇役で大丈夫なのか。全然繋がらねんじゃねーか? …とまた別な不安を抱えつつ次作に続く。
Received Comments(投稿順)
どうせなら新記事書いてTBさせていただきたいなと思ってます。
> げっ。公式サイトのタイトルも「ゼット」かよ。
何せGoogleの結果が月とスッポンですぜ(^^;
Zガンダム 劇場版:約16400件
Ζガンダム 劇場版:約884件
ご挨拶遅れまして(_ _)
こちらこそ、大変お世話になりました。
しののめさんに引っ張ってもらえなかったら多分行けてませんでした。感謝しております。
トラックバックもありがとうございます。こんな記事をリンクに加えて頂けて恐縮です…
>ゼータ
ううーん(T_T)
れっきとしたギリシャ文字だってこと自体が気づかれにくいんでしょうね。