今日は何かアンテナにびんびん来る話題がいっぱい載ってました。こんな日もあるもんですね。
ある人にとっての普通=本音は、「お世辞ではなく」なのに、他の人にとっては「ネタではなく」にもなるのだなあ。
(゚(エ)゚): 普通に面白い より
かくいう私もその昔、相方にフツーに驚いた
とか言われて『フツー』って何だ!
と詰め寄った思い出がヽ( ´ー`)ノ
広島育ちの私からすると、こういったある種フラットな意味合いの言葉を強調語としてもってくるのって関東圏特有の言語感覚です。「超」という言葉を使っても「超」にアクセントがつかない、という感じに似ています。
それはともかく、この場合「普通じゃない」のが何なのかはどうでもよくって、「普通」という言葉に「フィルタリングがかかっていない」というニュアンスがあるのが大事なのかなと思います。
アメリカでは、人々は家族と遊ぶのだ。
ま、日本人の家庭持ちってのはあんまり遊ばないというか、アメリカ人と同じように家族と過ごしていても「遊んでいる」という感覚がないですよね。紋切り型に言えば「家族サービス」ってやつで。そこの意識の差異が出ている部分を取り除いて考えた場合、アメリカにも日本にも「遊び歩いている人」なんてそんなにいないんじゃないかなぁ。
ところで、いつもまたブログちゃんで遊んでるの!
と相方に怒られている私のような者は一体誰と遊んでいることになるのか。一人か。orz